練習がてら

 

4/13発売のbase ball bearのアルバムからSHINEの話をする中で音楽のレコメンド的な文章の練習

 

をしようと思ったのですが演奏技術的な話には触れられないので情景とかに比重を振り切っていきます

 

ラジオから持ってきたであろうアレな動画でアレですが曲はこれ(途中まで)

www.nicovideo.jp

 

歌詞がこれ

http://sp.uta-net.com/search/kashi.php?TID=227540

 

 

というわけでね

 

 

まずこのSHINEという曲は死ぬほどポップ、シングルカットできるしタイアップにも耐えうるしまたブリガみたいにシーブリーズのCMとかやってゴールデンタイムにボコボコ流してくれって感じです

 

さて歌詞の話から物語に入っていきます

入りから

 

 

>「神様」っていうか君が神様なんだって、もう

>その手に引かれて生みまくる伝説中

 

 

思春期特有の無敵感がもうこの最初の2行で全て出てる

ちょっと悪ぶって学校サボって自転車で二人乗りしてわけわかんないところに向かってみたり、というかこの曲全編を通じて浮かび上がる像が中学1~2年の男女で男目線で女の子が引っ張っていって二人で初体験(色んな意味で)って感じの青春超小規模冒険譚

 

>持たざるクラスメイトが咎めるけど止められやしない

 

クラスメイトって言ってくれたので学生です、まあベボベだしね

ここで重要なのは「持たざる」

何を「持たざる」クラスメイトかってそりゃあもう神様である君を「持たざる」なんですよ

主人公の中学生(中学生とはいってないけど)の小規模な世界には神様である君は完全な異物でありイレギュラーでありますがそれ以上に英雄なのです

違う世界を見せてくれる英雄は主人公のとっての神様であり、神様にとって主人公はここではおそらくパートナーであります

小規模な世界においてこのおままごと恋愛は世界の重要な部分になります

クソバカにしてるけどこれは僕の世界がこの子達より広がってるわけじゃなくてただの僻み妬み嫉みです

ということでこの子達にとっては僕らも「持たざる」ものなわけです

 

 

>消し飛びそう 強すぎる光

>信じたい衝動 影が強くなっていくほど触れていたい

 

サビ前のフレーズ

めちゃくちゃ刹那的な光景ですね

正常な判断なんてできるわけがありません

 

というわけでサビへ

サビがもう物凄いポップでキャッチー、だからこそ言葉の詰め方とかはちょっとひねってるんだろうなって気も

 

>青春は1.2.3 ジャンプアップ 飛沫上げて

>プールの白波で編んだスカートの 君がゆらゆら 時と踊る そばでずっと見学したいな

>boy meets girl 世界で僕らだけが 本当の意味で生きているから

>聖槍で檸檬を貫くように 何もかも作って壊すのさ

 

サビ

プールとか見学とかなんか学生感を感じる

この世界は「永遠」なのです

そしてもうこの小規模な世界においては「世界で僕らだけが本当の意味で生きている」のです

そしてベボベ檸檬 最近頻度減ったかな?って思ってた

聖なる槍で檸檬を貫くんですよ?無意味じゃないですか?

それが小規模な世界なのです(とても勝手な解釈)

聖槍が主人公と神様であり檸檬は有象無象のように取っても良い気もしますね

さてこのサビはこんなもので流しますが後でまためっちゃ言及します

 

 

というわけで2番へ

 

>神様、あんなやつに心奪われないで

>その手の炎 ダサいなんて思わないで

 

ああああああああああああああ世界の崩壊だああああああああああああ

主人公と神様はパートナーではあったけどそれだけなんですよ

中学生の恋愛が続きますか?なかなかないケースですよ?

変われない特別な僕(簡単で陳腐な言葉で落としてしまうと中二病)と変わってしまった(現実に目を向けだした)神様

ここで厄介なのは主人公はまだ神様への崇拝とも言える感情が存在するんですよね、それさえなければ神様は「持たざる」人となるだけなのに神様が主人公に世界を見せてくれた存在であるために割り切れない

切ない

 

>持たざる同僚たちに馴染んだけど 忘れられない

 

主人公も適合はしないまでも適応はします

しかし

 

>愛していたよ 強すぎる光

>流されるボート 取り上げられていく全能 普通に

 

主人公くんは全能なんて持っていませんが実際に全能ではあったのです

しかし

しかし

ってね

 

 

そして2回目のサビ

 

>青春は3.2.1 ブレイクダウン ほら閉じていく

>人生の可能性が無限の代わりに 君がゆらゆら 時と踊る

>姿を見た 気のせいだった

boy meets girl 世界で僕らだけが 本当の意味で生きていたんだ

>水槽の泡を数えるように 思い続けているだろう SHINE

 

一番も見ましょう

 

>青春は1.2.3 ジャンプアップ 飛沫上げて

>プールの白波で編んだスカートの 君がゆらゆら 時と踊る そばでずっと見学したいな

>boy meets girl 世界で僕らだけが 本当の意味で生きているから

>聖槍で檸檬を貫くように 何もかも作って壊すのさ

 

もうまず1.2.3が3.2.1

そしてジャンプアップもブレイクダウン

青春に入り開いていった小規模な世界が青春が終わりになるに連れて実際の世界は広がっているにも関わらず閉じていく

 

さらに時と踊る姿は気のせいだった

気付いてしまったのです

気付いてしまった

 

しかしまだその世界は存在しています

そのためにこの子達は「本当の意味で生きていた」のですがもう本当の意味では生きていません

今の自分にとってその世界は崩壊しましたがその当時の自分に取ってはその世界が存在し今尚生き続けているのです

しかしその世界は自分自身と神様によって崩壊してしまったためにもう行くことは出来ません

ピーターパン的な何かですね

 

そして

「聖槍で檸檬を貫く」

「水槽の泡を数える」

ともにムダです

しかし聖槍で檸檬を貫くのは一般的に無為であっても当人達にとってはとても意味があります

しかしのしかし、水槽の泡を数えるのは外から見ても内から見てもムダの極みです

そして腐っていきます

 

 

曲自体は2番のサビから間髪入れずにラスサビへ

 

>青春は1.2.3 ジャンプアップ 飛沫上げて

>プールの白波で編んだスカートの 君がゆらゆら 時と踊る そばでずっと見学したいな

>boy meets girl 世界で僕らだけが 本当の意味で生きているから

>聖槍で檸檬を貫くように 何もかも作って壊すよ SHINE

 

最後がマイナーチェンジ

フラッシュバックするキラキラした世界

思い返すことがその世界に近づく最後の手段であるために「水槽の泡を数える」ように思い続けているのです

 

 

 

というわけで思春期特有の全能感、無敵感から抜け出して気付いてしまった青春の終焉の歌であるSHINE

それをこうもポップに仕立て上げるのは全能感へのアンチテーゼを感じますね

ポップ(ポップとだけで終わらせたら失礼だろうけど)な曲の内容が全能感の喪失でありますが、全能感を取り戻す曲ならそれこそ自分のやりたいように曲を進行させればいいわけです

それをしないというのが青春バンドBase Ball Bear、今でこそ青春って代名詞は薄れてきた感はありますが付きまとう「青春」は割と重りだったと思います

「二九歳」で青春は終わらなかったみたいなことを言っていたと思いますがSHINEも一種の回答だと思うのです

 

というわけでSHINEのこじつけのお話であり、裏テーマ「甘い甘い青春の終焉と現実のベボベ」でした


結論としては僕にレコメンド的な文章は無理ってわかりました